"Pet Sounds"の空間デザインPet Sounds

"Pet Sounds"とは、アメリカのロックバンド「ザ・ビーチ・ボーイズ」が1966年に発表したアルバムです。彼らの最高傑作と言われており、多くの音楽評論家がロック史上の名盤として挙げるとても有名な作品です。
まず初めに、S-K-Y CONCEPTページに書かれたテキストを引用します。




"Pet Sounds"(S-K-Y CONCEPTより)

1960年代の音楽界に起こった2つの革命。ビートルズの”Rubber Soul”は、クッキリとした美しいフォルムを描くために全ての音が完全に統合されています。この革新的なデザイン手法は、その明晰さゆえに以降のポピュラー・ミュージックに大きな影響を与えました。直後に発表されたビーチボーイズの”Pet Sounds”は、この影響を受けつつも、異なる思想の下にデザインされています。一つ一つの音は空間にバラバラと配置されて明滅を繰り返し、全体は決して1つのイメージに留まることなく、曖昧な輪郭だけを美しく描き出します。それから半世紀近く、その先鋭性ゆえに誰も真似ができなかったペットサウンズ的な世界観に、ようやく時代が追い付きつつあります。

"Pet Sounds"には、これからのデザインを考える上で多くの示唆が含まれている、とS-K-Yは考えています。それがどういうことなのか、お話ししていきたいと思います。


"Rubber Soul"のデザイン ~ くっきりとしたフォルム

”Pet Sounds”をほぼ一人で作り上げたビーチボーイズのブライアン・ウィルソンは、ビートルズの”Rubber Soul”の影響を受けたと後に述懐している。2つのアルバムはどちらも極めて良質なポピュラー・ミュージックだが、その音作りの方向性には大きな違いが感じられる。だから僕にとってはその発言はちょっとした謎だったのだが、デザインという観点で”Pet Sounds”を考えていたときに、ふと「そういうことかもしれない」と思い至ったことがある。その違いに意味があるのではないか、と。
”Rubber Soul”は、デビュー以来徐々に進化してきたビートルズのサウンドが一定の完成を見たアルバムと言える。無駄な音は削ぎ落とされ、吟味された音だけが明快な意図を持って配置されている。しかも一つ一つの音が複数の役割を果たしつつ互いに関係性を結ぶようにデザインされているため、シンプルでありながら明晰で豊潤な世界観を描き出すことに成功している。
身体に直接的に作用するようなモヤモヤした情動をそのまま詰め込んでいたようなそれまでのポピュラー・ミュージック界に、ジョン・レノンとポール・マッカートニーはモダンデザインを持ち込んだのである。それは、彼らが後に立ち上げたアップルレコードのロゴを思い起こさせる。”Rubber Soul”はリンゴのようにくっきりしたフォルムを持つ、きれいに磨き出された立体オブジェのような作品だった。人々は称賛を持ってこの作品を受け入れ、アルバムはヒットを記録した。


"Pet Sounds"のデザイン ~ ぼんやりとしたインターフェース


そもそも音楽とは立体的にデザインされるものである。音楽は演奏される場所と密接な関係性を持つものであり、空間との結び付きが必然的に生まれるからだ。しかし、その関係性は録音技術や放送技術の発展と共に変貌を遂げ、一時的に希薄になる。ポピュラー・ミュージックにおいてその傾向は殊に顕著であり、もっと原初的で直接的な官能や欲望の表現が重視された。そこに鮮やかにパッケージされた立体的なモダンデザインを導入したのがビートルズであり、他のバンドとの決定的な違いだった。
ブライアンは”Rubber Soul”を聴いた瞬間にそのことに気付いたのではないだろうか。そして、そのクオリティの高さに愕然としながら、同時に次なる可能性の萌芽が彼の中に生まれたのではないだろうか。すなわち、立体オブジェとは別の、空間的な広がりを持つ3次元的なサウンドである。
”Pet Sounds”は、ビーチ・ボーイズの美しいコーラスの上にさまざまな楽器の音やサンプリングされた日常の音を何度も重ねて録音された、コラージュのようなサウンドが特徴である。それゆえしばしば「曖昧で茫洋とした」と評されるが、この曖昧さは偶発性に頼った実験的な試みによって生まれたものではなく、確信的にデザインされたものだと感じられる。
一見すると無駄に思えるくらい多くの音が使われているが、実は全ての音は完璧に計算されており、3次元的な広がりの中に慎重に位置を定められて配置されている。それぞれの音が鳴るタイミングも丁寧に計算されており、これらの音が時間軸の中で連続的に鳴って音楽が奏でられると同時に、ぼんやりとした立体的なイメージが浮かび上がる。このイメージは常に形を変えていき、決して静止することなく明滅を繰り返す。
”Pet Sounds”が目指しているのは、ぼんやりとした境界(インターフェース)を描き出すようにデザインされた音楽であり、広がりのある空間なのではないだろうか。それが、ブライアンが” Rubber Soul”のモダンデザインの先に見たデザインの可能性だったのではないだろうか。
その世界観はすぐに理解されるようなものではなく、発売当時のアルバムセールスは振るわなかった。しかし、たとえ理解できなくてもどこまでも美しくポップであり、誰もが名盤だと認めざるを得ないのが”Pet Sounds”である。


次なるデザインへ

ジョンとポールは”Pet Sounds”を聴いて衝撃を受け、取りかかっていた”Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band”の録音をやり直したと言われている。そこには”Pet Sounds”で用いられた手法が導入されているが、描き出されているのはくっきりとしたフォルムの進化系であった。ビートルズの音楽はモダンデザインの可能性を鮮やかに指し示すものとして、以降のあらゆるデザインに多大な影響を与えた。
一方、ブライアンは”Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band”を受けて更なる進化を目指したが、そのサウンドが完成することはついになかった。そして、”Pet Sounds”は誰しもが認める圧倒的なクオリティを持ちながら、誰にも真似のできない孤高の存在であり続けている。

モダンデザインにより席巻された世界は行き詰まりを見せ、次なる展開が待ち望まれています。
そんな現代において、”Pet Sounds”が描き出す世界観は我々に大いなる示唆を与えてくれます。それは過去に戻ったり異質なものを求めたりするのではなく、モダンを踏まえた上でその次を目指しているからであり、またポピュラリティを獲得しながら高い次元のデザインに到達しているからでもあります。
”Pet Sounds”に含まれているユニークな空間の概念を具現化する上で、建築というメディアには大きなチャンスと役割があるとS-K-Yは考えています。